本音は本に書きますか? インドの本の特性

ヨガ講師育成トレーナー、

リブウェルインスティテュートのKenです。

 

今日はインドの本の特性に関して考えてみましょう。

 

さて、まずはインドという国について少し考えてみましょう。

 

インドといえば何を思い浮かべますか?

 

私なら、カレーを思い浮かべます。

 

「食は文化なり」と言われることがある通り、インドのカレーを考えるとその文化の特性がわかって来ます。

 

ちなみに日本料理と言えば何を思い浮かべますか。色々あると思いますがお寿司がその代表ではないでしょうか。

 

ではカレーとお寿司を比較して両国の文化を比較してみましょう。

 

まずは日本の代表、お寿司。美味しいお寿司とはどのようなお寿司でしょう。

お魚の鮮度や質の良さ、その素朴な物のシンプルな質の高さで味わいを見出します。

 

一方、カレーはどうでしょう。シンプルなカレーは美味しいでしょうか。唐辛子だけのカレーが美味しいでしょうか。カレーは複雑に多くの物がミックスされたものが美味しいと思いませんか。りんごや蜂蜜など。。。隠し味が決め手!ではないでしょうか。

日本食はシンプルが一番。インド料理は隠し味で混ぜて、ミックス、一口で言えないことが旨さに繋がっています。

 

これは食だけでなく文化にも当てはまります。

日本文化は白黒や赤白に象徴されるように素朴でシンプルなものの中に美徳を見出します。インドはその真逆。ミックスで分かり辛いものが良い物とされます。ですからインドのものは分かり辛いものが多いのです。

ヨガも例外ではありません。インド哲学も比較的複雑で分かり辛いです。

同じくインドのヨガの本も分かり辛いです。読んでもその複雑さの上にほとんど理解できないことが多く、夜読んでいると眠り薬のようにすぐ読書中に寝入ってしまいます。もっと分かりやすくシンプルに書けないのかな。。。と思いますが、複雑に書くことがインドの美徳なのでそういうわけにはいかないのです。

 

1、複雑さが美徳。インドの本はそもそも分かり辛い

 

分かり辛い理由は文化の違いからだけではありません。

それ以外にも幾つか理由があります。

 

2、真実は書かない、こっそり口で言う

 

皆さんは芸能新聞や雑誌に書かれていることを100%信じますか。最近はフェイクニュースというものもありますが本に書かれている内容はあえて間違いを書いたり話題を得ようと嘘を書くことがあります。真実は当事者だけが知っていればよいのであえて冗談を書いたり興味を仰ぐ内容に変えることが多いです。書かれていることを真に受け留めるとバカをみることがありますよね。ヨガでも同じことが言えます。真実はこっそりと先生が口で伝え、本など公的な場ではあえて少し事実を歪めて書くことが多いのです。好きな人がいたととしてそれをブログで公表する人はいないと思います。自殺したい人が本当に「死にたい」とブログやツイッターに書くのでしょうか。

書かれていることは実際の思いと真逆であることの方が多いのです。

皆さんは誰にも知られたくないような秘密を正確に誰にでも分かりやすく書きますか。それとも暗号にしますか。秘密が万が一誰かに見られたり見つかっても、暗号にしておけば暗号を知っている人にしか自分の大切なことが伝わりません。ヨガで伝えらえてきたことは、永遠の命や永遠の若さなどを手に入れられるなどの秘儀でした。見ず知らずの人に知られたくない秘密だったのです。その秘密を本に書いたらコピーされて悪用される可能性があります。

以前私は焼き鳥屋を経営していましたが、焼き鳥屋にはよく秘伝のタレがあります。そのタレが命で流行ったりするわけです。仮にこのタレの作り方を本に書いたら皆が真似をして商売上がったりです。真実を本に書くと真似されたり悪用されることがあります。大切なことは本などでは口外しない、こっそりと信頼できる人に口で伝えるものなのです。

ヨガの秘伝を守るために本には敢えて書かなかったり、書いたとしても暗号的に書かれているので、ヨガの哲学を正しく理解することは難しいのです。

 

3、本は先生のメモ(目次に過ぎない)

古代のインドの本とはそもそもどのような役割をもっていてどのように作られているのでしょうか。

結論から言うと本は先生のメモに過ぎない、目次のような物で全文が書かれているわけではない、その日に先生が話す内容のタイトル程度で詳しい内容は書かれていない、先生が話すきっかけ程度の内容が書かれているもの、ということです。

ヨガにはスートラという古い書物があります。スートラとは糸という意味で、糸で束ねられている経典のことです。当時は製本技術がありませんから糸で本を綴ったわけですが、そのもそも書く紙がありません。当時は葉っぱのような小さな単語帳のような紙切れにメモを書くのが精一杯。そこに話す内容を全て書くことはできませんでした。ヨガの先生は話す内容やキーワードだけを自分が話すときに忘れない程度に箇条書きに書いただけでした。「犬も歩けば棒にあたる」とは書かずに、「犬 棒」と名詞だけを書いたのです。先生はそのような紙をポケットにもっていて、その紙の中からおみくじにように1枚を取り出して今日はこのことを話そうと決めていたようです。紙が小さいし、筆も太い。したがって書ける量も自ずと限界がありました。このような理由からスートラという経典には単なる、目次が書かているだけで、その内容は先生にしかわからないものになっていました。先生が亡くなったあとはその真実はそれを聞いた弟子たちの記憶次第と言うことです。ここで問題なのは先生は同じスートラでも生徒によって別なことを話し、日によっては同じ生徒にも違うことを話したようです。先生が亡くなるとともにそのスートラの真実は、より一層不明瞭なものとなってしまったのです。

 

4、本は解説者の意見で事実とは限らない

今までお話ししたようにインドの本の原書はそもそも分かりづらいものになっています。インドの文化的背景や、風習などがその大きな理由でした。したがって現代出回っている書籍はその不明瞭な原書を現代のヨガの先生や学者等が解説したものです。目次だけが書かれている原書をその解説者の憶測や解説者の思考をもって書き直されていますので、原書の意図が正確に伝わっていることは稀です。したがって多くのインド古来の書物は誤訳が多いです。

ヨガスートラという経典の中に「八支則」という幸せになるための手引書的なものが書かれていて、その中に「ブラフマチャリヤ」というものがあります。一般的にこれは「禁欲」と訳されています。ヨガをするものは性欲をコントロールしなくてはいけないと書かれていますがこれも誤訳です(インドの伝統を重んじ、正解はいつか直接お会いしたときにこっそりとお教えしますね)。もしこの訳を信じて禁欲すればヨガをする人は子供が作れませんのでヨガ人口が増えればいつかは子孫が途絶えることになります。これは大変なこと。大きな誤訳です。

現代出版されているインドの書籍は、このようにそもそもの真実が不明瞭な上に、解説者が自分の意見を付け加えた形で訳しているので複雑さが増しています。さらに複雑に書くことが現代のインドでも伝統ですからさらに意味が不明瞭になっています。

このことはインド文化でのことですが日本でも同じようなことが言えます。本に書かれている内容や新聞、マスコミ等の報道、ブログの記事などを鵜呑みにすることは危険です。自分で調べたり、直接当事者から聞いたり、現場にいた人やそれを書いた本人から直接事実や裏話を聞くことが大切です。

今日ここに私が書いたことも嘘があるかもしれませんよ!

真実は、直接お目に掛かったときにお話しましょうね!

ではでは。

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