この世は神の遊び まさか!が普通

ヨガ講師育成トレーナー、

リブウェルインスティテュートのKenです。

 

今日は宇宙や神というものに関して考えてみましょう。

 

ヨガではその伝統的な考えの中で、ヨガをする目的は最高の幸せ、至福を得ることと言われています。そして、その至福とは自由を得ることです。自由とは何かからの自由ですが、少し難しい言葉ですが輪廻転生からの自由を得ることと言われています。

 

輪廻転生とは人には何回も生まれ変わるしがらみがあるということです。そして、生まれ変わる時に魂が肉体から離れる時が最も辛いことだと言われています。その何回も生まれ変わるというしがらみから自由になることがヨガの目的なのです。

 

では、どうすればこのしがらみから自由になれるのでしょうか。

 

全てのものが神と一つであると感じられるとこの自由をてにいれると考えられています。

神というとあまりに宗教的なので言い方を変えて、「大いなるもの」とか「宇宙」とか「意識」という言葉に置き換えられうこともあります。日本的には森羅万象とでも言える偉大なものと自分が同じものであると感じられれば自由が訪れると言われています。

 

では次にどうすればこの大いなるもの、神と自分が一つと感じられるようになるかというと、まずはこの大いなるものの特徴をよく知って、それの真似をする必要があります。

 

例えが単純過ぎるかもしれませんが、ジャニーズに入りたければ美白で可愛らしくなる必要があります。エグザエルに入りたければ日焼けしてマッチョになる必要があります(蛇足ですが、私はエグザエルを目指しているので日々日サロへ通っています)。このように何かに同化したければその目的物の特徴や嗜好性を把握して自分もそれに近づく努力が必要になります。

 

それでは大いなるもの、神の特徴はどのようなものなのでしょうか。

 

シッダヨガのグル、スワミ・ムクタナンダの書籍に「Play of Consiousness    意識の戯れ」というものがあります。ここにおけるConsiousnessとは意識のことで、前述したように神のことです。つまりこの本のタイトルは「神の遊び」です。この本で言われていることは「この世は神の遊びにすぎない」ということです。この世は理屈や計算では解決できない理不尽なことが基礎になっているので、理不尽なことに一々悩んでいても意味がない、発想を変えてこの世はいい加減だから自分もそれを理解した上で生活した方が悩みが消えて心が落ち着きますよ!という教えです。

 

私たち日本人は仏教徒が多いので基本的に真面目でどちらかというと根暗、ネガティブ思考が多いですよね。親からもよく、真面目に生きないと罰を受ける!逆に言えば真面目に一生懸命頑張れば、努力すればいつかは報われる日が必ず来る!と教育されてきました。ですから幸せや成功を信じて日々精進するわけです。

ところがヨガの基本哲学、ヒンズー教ではそのように考えません。頑張っても報われないことが多い!という逆の考えなのです。皆さんはどう思われますか?

私はアメリカ、ロサンゼルスで約6年間、焼鳥屋を経営していました。アメリカで飲食店を経営していて気づいたことがあります。

 

日本とは違って、アメリカはいい加減だ!ということです。

 

私のレストランは単価が安いカジュアルレストランでしたのでチップが少なく従業員の確保が大変でした。候補者から連絡が来て面接の約束をするのですが、まず約束通りに来ることはありません。奇跡的に面接に来てくれて、合格!では明日会いましょう!と握手で別れても翌日に来こることはまずありませんでした。

 

ここで学んだことは、アメリカでは約束は守られない!ということです。

 

また6年間経営していて物が壊れない日もほとんどありませんでした。毎日何かが故障するのです。したがって、上手くいったり約束が守られたら奇跡でした。

 

私は毎日憤慨し、どうしてこんなに酷い国なのだろう!とストレスの日々を過ごしましたがある時に気づきました。実はこれが平均で日本のように真面目で几帳面、故障がない方がおかしいといういうことです。基軸を変えれば、故障が当たり前、約束不履行が当たり前と考え方を変えれば別にそれがいつものことですからストレスを感じないのです。この世の中心をちっぽけな島国、日本だと思うと色々問題となります。この世の捉え方を変えればストレスは軽減されるのです。

 

ヒトの健康もそうですが、現代人を基本にヒトの健康をみるか、30万年前のホモサピエンスを基軸にヒトの健康を論じるかで結果は変わってきます。

 

「この世」というものも、真面目に生きれば報われる!と捉えるか、真面目に生きても報わない!と捉えるかで生き方が変わってきます。

 

先ほどもスワミ・ムクタナンダの書籍「Play of Consiousness    意識の戯れ」で触れたようにヨガでは「この世は遊びだ」と捉えています。

 

ヨガでは、「ヨガの神様、シヴァ神がまばたきをする度ごとに天災が起きる」と言われています。 

 

では神様は次回いつまばたきをされるのでしょうか。

 

それは神様にもわかりませんよね。だいたい10年に1回だとしても、目にゴミが入れば数回続きますし、何かに夢中になっていればしばらくまばたきしません。

 

つまり、これは神様の気まぐれです。

 

このことをとがめても仕方がないことです。大体の予測はつきますが、必ずしも規則正しく行われるということはないわけです。

 

この世は、神様の気まぐれです。どうにもならない理不尽なことのことの方が多いのです。

 

坂には上り坂、下り坂があります。良い時も悪い時もあります。ですがもう一つの坂があることを忘れていけません。

 

まさか!です。

 

もっと言えば、この世は「まさか!」の連続なのです。

まさかが基本で上り坂と下り坂が稀なのです。

 

一々まさか!理不尽を恨んでいてはストレスは無くなりません。

 

この世は神様の戯れ、まさかの連続だと思うと考え方も変わってきます。

 

期待通りにいかなくても当たり前ですし、運が悪くても当たり前。騙されてもあたり前です。

 

ではどうやってこの世を生きたら良いのでしょう。

神様が遊び人だから自分も遊び人でイイ加減に生きれば良い!ということでしょうか。

ちゃらんぽらんな人生を歩めば神様と同じになれるのでしょうか。

 

いいえ。違います。

 

相手がイイ加減なら自分はそれに対応して日々裏切られても良いように万全の準備をしておく必要があるという考えを持ちましょう。

 

備えあれば憂いなしが鉄則です。

 

期待は裏切られることが当たり前ですからそれに驚かされないように、いつでも全ての考えられうる事態に準備万全で備えればいざという時に慌てずにすみます。ストレスを少なく落ち着いて生きることができるのです。

 

その世は神様の戯れですから、その波に乗らなくてはいけません。色々な波を想定して普段から波乗りの練習をする必要があります。どのような波が来るかはわかりませんので可能な限り自分を柔軟にして、同時に筋肉も鍛えておかないといけません。

 

この世は大いなるものの戯れです。

 

その戯れに心穏やかに付き添えるようになることがヨガの自由を得ることに繋がるのです。

 

ではまた一緒に学びましょう。

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